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平成28年度滴水会総会 講演 (2017.1.14)

母乳育児支援の目指すものと高知ファミリークリニックの現状

医療法人 福永会                 

高知ファミリークリニック

福永 寿則

 

Ⅰ.はじめに

 平成284月に出版された本に「キリンビール高知支店の奇跡」(講談社新書)がある。著者は元キリンビール株式会社代表取締役副社長の田村潤氏である。少し内容を紹介させていただく。キリンビールは長い間国内ビール販売のシェアNo.1を誇ってきた。1987年アサヒビールがスーパードライを発売すると、シェアNo.1の座に胡坐をかき営業努力を怠ってきたキリンビールは徐々にビール市場をアサヒビールに奪われ、ついに2001年にはシェアNo.1の座をアサヒビールに奪われた。

 そのように国内ビール市場がアサヒビールに席巻されつつあった1995年、上司と意見の対立した著者田村氏は、半ば左遷される形で高知支店の支店長に赴任した。当時高知支店は全国的に見て特にビール売り上げシェア率の低い支店であった。田村氏は、それまで何をしたらよいか分からなかった、問題意識の乏しかったスタッフの意識を改革し、共に高知県の現状・顧客の購買意欲の分析を行い、具体的な対策を検討し、実行していった。ラガービールの味の見直しを本社に提言し、高知県人の心をくすぐる「高知が、いちばん」「たっすいがは、いかん!」などのキャンペーンを行い、また地道な営業活動を積み重ねていった。その結果、わずか2年半後には高知支店は、アサヒビールから高知県内におけるトップシェアの座を奪い返した。この成績が評価され、田村氏は四国の、そして西日本の、最後には全国の販売促進の責任者として指揮をとり、ついに2009年キリンビールは9年ぶりとなる国内ビール市場のシェアNo.1奪回を実現した。

 この本の最後にまとめ的なものとして「勝つための5つの要素」が挙げられている。 1.ビジョンを明確に描く…確固とした理念に基づいた“あるべき状態”すなわちビジョンをチームで共有する。 2.ビジョンを「自分が実現する」と決める。 3.ビジョン実現のための戦略・戦術(勝利へのシナリオ)を考え抜く…事実をベースに考えつくし戦略を絞り込む。戦術はそれぞれの個人が自由に工夫する。スタッフ一人一人が自ら考え、自ら実行するチームになる。 4.勝利へのシナリオを「自分がやりきる」と決める…勝ちたいという執念。 5.結果のコミュニケーションと徹底した活動の継続…自分がやる、と約束したことを実行できたかどうかをリーダーと(メンバーと)コミュニケーションし、できていなかった場合はなぜできなかったかをつきつめる。

 さて、本題の母乳育児に戻ってみると、高知県内の各施設での母乳育児推進の取り組みはまだ十分とは言えない。その原因を考えてみると上記の5つの要素に思い当たる。そこで、これまでは母乳育児推進のための取り組みについて多く発表してきたが、今回の発表では上記の5つの要素を考え、皆様のモチベーションに働きかけるような内容を意識した。

 

Ⅱ.母乳育児の歴史

 ここの内容は「母乳育児支援スタンダード」(NPO法人日本ラクテーション・コンサルト協会、医学書院、2007年)を参考・引用した。

 ヒトの祖先がアフリカに誕生したのは約600年前、現在のヒトが出現したのは約10万年前である。人類は地球上に誕生して以来、常に飢餓と感染症という2つの敵に脅かされてきた。この2つの敵を抵抗力の弱い新生児・乳児が克服する唯一の手段は母乳育児であった。“安全”な乳児用人工乳の誕生は20世紀中頃まで待つ必要があった。

 1835年に加糖練乳が開発され、1866年にはネスレがブリキ缶に密封した加糖練乳を開発し、乳児用人工乳として宣伝・販売した。しかし、この人工乳は多くの栄養障害や乳児死亡をもたらした。その後も20世紀初頭にかけて多くの人工乳が生産されたが、栄養学的欠陥は改善されず、人工栄養児における栄養障害や下痢などの感染症と、それらによる乳児死亡の発生率は高いままであった。しかし、20世紀になると企業は、人工乳を「母乳を得られない乳児を助けるもの」から、莫大な利益をもたらす「乳児栄養という市場に対する商品」として位置づけを変更し、大規模な広告宣伝と、医療機関を利用した巧妙な販売戦略により、「母乳育児は時代遅れ、人工乳は新しく科学的」「人工乳の品質は母乳と同じかむしろ優れている」という印象を一般に持たせることに成功した。

第二次世界大戦後、欧米諸国における人工栄養の普及は著しく、すでに米国においては第二次世界大戦前から世界に先駆けて人工乳が乳児栄養のスタンダードとなっていた。

 (米国の母乳率)  1910年代  1か月まで  90%前後

           1948年    産科退院時 38

           1955年    産科退院時 30%

 しかし、衛生および栄養状態が改善し社会や医療体制が整った工業国とりわけ米国では、乳児用人工乳のリスクが顧みられることはほとんどなくなり、医療者も含めて母乳も人工乳も変わりないと信じる人の方が圧倒的に多くなった。やがて、欧米における急速に拡大した人工乳市場も次第に飽和しつつあったため、企業は新たな市場として、当時非常に出生率が高く、人口増加と都市化の進展が著しいアフリカや中南米などの開発途上国に目を付けた。開発途上国の人々にとっては缶入りの粉ミルクと哺乳瓶は“近代化・西洋化の象徴”で憧れの的であった。巧みな販売戦略もあり、開発途上国の人々は人工乳の方が優れていると信じ、唯々諾々として母乳育児をやめた。

 その結果、それらの開発途上国で起こったのが「哺乳瓶病(bottle baby disease)」と呼ばれる惨劇であった。人工栄養の乳幼児では下痢などの感染症と栄養障害が多発し、その結果乳幼児死亡が激増した。また、授乳性無月経による自然な避妊効果が失われ、衛生・栄養環境が貧困な場合、妊娠がたび重なると母体の健康は著しく損なわれる結果となった。

 1974年、開発途上国における企業の人工乳販売活動の実態を告発した本『ネッスルは赤ちゃんを殺す』の出版元を、ネスレが名誉棄損で訴えた裁判ネスレ訴訟が始まった。この裁判の過程で開発途上国においてネスレなどの多国籍企業が行った無軌道な人工乳の販売活動と、それがもたらした惨禍の驚くべき実態が明らかにされ、広く世に知れ渡る結果となり、世界的な母乳育児推進の潮流につながった。

 1981年、第34回世界保健総会において「母乳代用品のマーケティングに関する国際基準」が採択された。これはWHO/UNICEFが中心となり、人工乳メーカーの販売活動を規制することで母乳育児を保護・推進しようとする試みであり、公正で適切な人工乳の販売が行われるように勧告したものである。その内容は、① 母親に試供品を渡してはいけない、② 医療従事者に贈り物をしたりしてはいけない、③ 人工乳の製品のラベルに赤ちゃんの絵や写真、人工栄養法を理想化するような言葉などを使用してはいけない、などである。しかし「国際基準」が実効性をもつためには、各国政府がそれを国内法で法制化する必要があるが、その実現化の動きは遅々たるものであった。

 メーカーに対する働きかけでは効果がなかったため、1989年にWHO/UNICEFは「母乳育児の保

護、推進、支援産科医療施設の特別な役割」という共同声明を発表した。産科施設に母乳育児支援を取り組ませることで母乳育児の推進を図ろうとしたものであり、この中で母乳育児のガイドラインである「母乳育児成功のための10か条」が提唱された。1990年には「イノチェンティ宣言」が発表され、生後46カ月は完全に母乳だけで育てること、それ以降は適切な栄養を補いながら母乳育児を2年かそれ以上続けることが推奨されている。1991年「赤ちゃんにやさしい病院運動(BFHI)」が開始され、同年工業国でははじめて日本の国立岡山病院が認定された。

 このような取り組みにより、母乳育児推進の取り組みは大きな前進を見せ始めた。さらに1990年代後半になり、世界の母乳育児推進の潮流は大きな質的転換を示した。それまではどちらかというと、母乳育児の重要性は開発途上国においてより強調されてきた。しかし、母乳育児に関する疫学的研究が大きく進展した結果(表1)、工業国における母乳育児の意義が再評価され、工業国における母乳育児推進の運動はかってなく前進した。

 元々から母乳育児推進運動は、産科側以上に、新生児・小児の健康に責任を持つ小児科側からの力が大きい。1992年には、第20回国際小児科学会において、『全世界が、母乳推進運動に努めるとともに、「母乳育児を成功させるための10カ条」とBFHを支援する宣言』が採択された。また、1997年にはアメリカ小児科学会が「母乳と母乳育児に関する方針宣言」を採択し、母乳育児推進の重要性を示した。

日本国内においても、2007年日本小児科学会栄養委員会が、日本小児科学会雑誌に「若手小児科医に伝えたい母乳の話」としてまとめている。その中で、“母乳は乳児にとって最良の栄養であり、小児科医は母乳育児支援を推進する立場にある。”と述べており、また母乳は乳児にとって最良の栄養であるだけでなく、母乳育児は母子間の愛着形成や生活習慣病予防に効果的であることが報告されている。さらに、2011年には、「小児科医と母乳育児推進」-日本小児科学会栄養委員会・新生児委員会による母乳育児推進プロジェクト報告(日本小児科学会雑誌)が発表され、その中で、母乳育児推進は小児科医の責務であるとし、小児科医が母乳育児推進を実践できるように指針を示している。

 また、2007年には厚生労働省雇用均等・児童家庭局母子保健課により「授乳・離乳の支援ガイド」が策定され、国策としての母乳育児推進が表明された。

 

Ⅲ.赤ちゃんにやさしい病院運動(BFHI

1989WHO/UNICEFが「母乳育児成功のための10か条」を提唱し、1991年「赤ちゃんにやさしい病院運動(BFHI)」が開始された。

199281日を「世界母乳の日」、8月第1週を「世界母乳週間」と定められた。日本では、この日を記念して、国立岡山病院名誉院長故山内逸郎先生の提唱のもとに、全国各地より母乳育児の実践に熱心な産科医・小児科医が大阪に集まり、「母乳をすすめるための産科医と小児科医の集い」が開かれた。この集いが発展し、現在の「日本母乳の会」となった。

 日本母乳の会は1993年以降、ユニセフから日本における「赤ちゃんにやさしい病院 BFH」認定に関わる一切の業務を委託されている。また、毎年8月に開催される母乳育児シンポジウムやその他の多くの研修会などを開催している。

日本国内では、2016年の時点で73施設が「赤ちゃんにやさしい病院(BFH)」に認定されている。決して母乳育児にこだわりを持つ産科診療所が認定されているというのではなく、大学付属病院が3施設、日本赤十字社医療センターや国立病院機構岡山医療センターなどの医療センターが11施設、病院が40施設、診療所が19施設という内訳である。四国では愛媛県立中央病院と高知ファミリークリニックの2施設が認定されている。

 

Ⅳ.母乳育児の利点

 まず、母乳育児の子供にとっての利点として、① 正期産児にとって生後6カ月まで母乳は完全栄養である、② 抗体、免疫因子、酵素、白血球など児の免疫システムを強化するための種々の物質を含んでいる。その働きが、母乳育児期間中のみならず、それ以降の長期間にわたり児をさまざまな疾患から守る、③ 知能指数・認知能力の発達にプラスの影響を与える可能性がある、④ 生活習慣病との関係では、将来の肥満を減少させ、また動脈硬化に対して予防効果があると言われている、⑤ 母と子の愛着形成に役立つ行為である、⑥ 母乳はいつも新鮮で、児にとって理想的な温度である、などが挙げられている。

 次に、母乳育児の母親にとっての利点として、① 子宮収縮の促進、② ホルモンの変化…プロラクチンは「母性化ホルモン」とも言われ、このホルモンによって、母親は自分の子供にのみ「没入的な感情」を持つ傾向がある。オキシトシンは「愛情ホルモン」「抱っこホルモン」とも言われ、相手との協調性を高め、母と子の相互作用を強める。また、ストレスへの反応を抑制する、③ 授乳性無月経による自然な避妊、母親の健康保持、④ 妊娠中増加した体重をより早く減量できる、⑤ 骨密度については、母乳育児中止後に急速に骨ミネラル化が改善し、母乳育児をしたことのある女性の方が、していない女性よりも閉経後の骨折のリスクが低い、⑥ 乳がん・卵巣がん・子宮体がんも、長期間母乳育児をするほど減少する、⑦ 妊娠糖尿病から糖尿病に移行するリスクを半分にする、などが挙げられている。

 更に、母乳育児の社会にとっての利点として、① 家計を助ける、② 時間の節約…調乳のための時間、購入に要する時間、③ 地域社会・国家にとっても、母乳には経済的価値がある、また健康保険予算を削減することができる、④ 母乳育児は、人工乳に比べて環境への負荷が少ない、などが挙げられている。

 また、「初めての母乳育児と心配ごと解決集」(一聡舎)の表紙の絵を見ていただきたい(図1)。母乳育児は、単に母乳を飲ませる行為だけを言うのではない。お母さんと赤ちゃんが一緒にいて、赤ちゃんの様子からその欲求を察知し、お母さんが赤ちゃんを抱っこし、声かけをし、赤ちゃんに乳首を含ませる。皮膚と皮膚の直接の触れ合いを通じて、お母さんは射乳の心地よさを、赤ちゃんはお腹が満たされる満足感を感じ、二人はお互いに与え合う幸福な時間を共にする。母乳育児では、このような時間が1日に何回となく繰り返され、幸せな、豊かな母子相互作用が積み重ねられていく。この豊かな母子相互作用によって、出産した女性は母となり、赤ちゃんは自分の存在感を確認し、自然に赤ちゃんの中に他者との豊かな交流を可能とする心が育ってくる。ヒトという哺乳動物から人という社会的存在となる、と言われている。

 

Ⅴ.高知ファミリークリニックの取り組み

1.理念

 高知ファミリークリニックは、低リスクの妊娠・分娩を対象とし、生まれ出た児の幸せな人生、児が加わった新しい家族のさらなる幸せ、そして、そのような家族が増えることによるより良い社会への変化を基本的な願いとし、育児のスタート、新しい家族のスタートを支援する産婦人科クリニックである。その実現のために、幸せな妊娠生活・達成感のある分娩を援助し、また、妊娠・分娩・育児を通じた関わりにより、妊婦・家族の成長を図る産婦人科クリニックである。

2.ビジョン

①「ソフロロジー式分娩法」…妊娠中からの母性の形成、家族の絆形成、達成感のある幸せな分娩を目的とする。② 家族立会分娩、産後の家族同室…家族の絆形成、見守りの中での育児のスタートいにより退院後のスムーズな育児へつなげる。③ 母乳育児…母と子が共有する幸せな時間、児の健やかな成長、母の幸せな育児生活を願う。

3.戦略

 職員に対する戦略としては、① 研修会への派遣…職員の意識づけ、② 委員会の設立…職員に活動する場と責任を与える。「母乳育児推進委員会」設立の1年後BFH認定申請書類提出、「育児サークル委員会」設立の5か月後、育児サークル活動開始、「災害対策委員会」設立し、1階が多目的ホール、2階が震災対応の備蓄庫を備えた新館の建築につながる、など。③ 成功体験…職員の仕事に対する喜び、ビジョンの明確化、活動継続のモチベーションを高める。これには、(1) 直接ふれる妊産婦・母子・家族の声・様子、(2)「なんでもノート」:入院室に置いておき、自由に記入してもらう、(3) 発表:母乳育児シンポジウム、高知母性衛生学会、その他での発表、(4)「赤ちゃんにやさしい病院BFH」認定、(5) 論文発表、などがある。

 母子に対する戦略としては、母乳育児推進に最低限必要な取り組みには次の3つがある。① 頻回授乳とそれを可能にする母子同室(大部屋でも可)、② 糖水・人工乳補足基準の作成、③ 精神的支援…母乳は産後3日目まではあまり出ないのが普通であり、4日目頃から急に分泌量が増加するということを、母親・家族に十分説明し不安・焦りを取り除くことが必要である。

4.高知ファミリークリニックのデータ

 2016年の分娩数は517件、同年1月~9月の1か月健診時母乳率は 84.2 %であった(図2、図3)。

 

(最後に)

哺乳動物である「人」においては、「母乳育児支援」がすなわち「育児支援」であるとの認識で、今後も産科診療に携わっていきたいと思っている。

今回、このような発表の機会を与えていただき、深く感謝申し上げます。

 

(参考・引用図書)

  • 「キリンビール高知支店の奇跡」(田村潤、講談社新書)
  • 「母乳育児支援スタンダード」(NPO法人日本ラクテーション・コンサルト協会、医学書院)
  • 「初めての母乳育児と心配ごと解決集」(山内逸郎、他、一聡舎)
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